心憂しども旅路は続く

稼いだ日銭で国内を旅する24歳サラリーマンの雑記。

夕張④ ~夕張に待ち人は来たるのか~

前回の記事 ↓

 

travelthinking-mp3.hatenablog.com

夕張駅

夕張駅まで戻ってきました。

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時計台のような、こじんまりとした瀟洒な駅舎です。

駅付近にはもうじきの別れを悼む鉄道ファンが集まっています。

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駅舎の後ろには「ホテルマウントレースイ」。

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ホテルの後ろにはスキー場が広がっています。

雪質は悪くなさそうですが、いかんせん滑っている人が少ないです。

広大なゲレンデに人影はまばらでした。

 

このホテルと夕張駅には深いつながりがあります。

というのも、実はこの夕張駅は3代目なのです。

初代は現在の石炭博物館付近、2代目は先ほどまで散策していた本町付近にあったのです。

その後、リゾート開発に伴い、マウントレースイ前に路線が短縮され駅ができました。

これが3代目の夕張駅です。

さて、駅の中も覗いてみましょう。

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ちょうど列車が駅を発つ時間でした。

ここでも黄色いハンカチがシンボリックに掲げられていました。

続々と人々が乗り込んでいきますが、この列車は見送ります。

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列車が発つと一転して静かな空間に変わりました。

26日後にこの街から鉄路が消える、そう考えると不思議な感じがします。

「Restartまであと26日」。

聞こえはいいですが、再出発、即ち一度は終わるということです。

これは夕張全体に向けてのメッセージなのでしょうか。

覚悟のようなものを感じとるのは考えすぎなのでしょうか。

 

日も落ち、冷えてきたのでマウントレースイの温泉に浸かりました。

racey.yubari-resort.com

料金は700円。露天風呂もあるとはいえやや高い印象ですが、夕張市独自の入湯税が150円含まれています。

市民サービスの維持のためには、増税もやむを得ないのでしょう。

その後は駅前の「ゆうばり屋台村」で夕食にします。

ここまでまともにお金を落としていないので、お酒もしこたま飲みました。

いろいろ考えていたのですが、酔いも回ると「酒最高」としか考えられなくなりますね。ザンギでビールが進むこと。

www.city.yubari.lg.jp

※訪れた時には5店舗ほどが営業していた記憶があるのですが、2020年現在3店舗しか営業していないようです。

 

終電ぎりぎりまで飲んで温まってから、暗闇の中の列車に乗り込みました。

そこからのことはよく覚えていません。

薄れゆく意識の中で、私と同じように酒を飲んでいた地元のおじさん二人組が清水沢の付近で降りて行ったような気がします。

鉄路がある街の当たり前の風景です。

気が付くと、終点の追分駅。いつの間にかまどろんでいました。

駅員さんに起こされて、苫小牧行きの千歳線に乗り換えます。

乗り換え時間はわずかだったので、慌ててホームへ飛び出しました。

こうして最後は余韻に浸る暇もなく、夕張への旅は終わったのでした。

 

夕張の未来と黄色いハンカチ

物思うことの多かった夕張への旅。ここで総括します。

まずは財政破綻することになった歴史について触れます。

yubaricci.sakura.ne.jp

その経緯について、商工会議所のHPにまとめられています。

まとめますと、

1.炭鉱都市として急激に発展するも炭鉱が閉山

2.新たな産業として観光に過剰投資するも失敗

3.増大した人口に合わせていた行政支出の不均衡

4.赤字財政を不適切な処理でごまかし続けて悪化

5.下がり続ける市民サービスで人口と税収の更なる流失と減少

…………負のスパイラルといっても過言ではないですね。

かつて11万6千人いた人口も今や8千人を割っています。

夕張は言うまでもなく、炭鉱を中心とした産業の街でした。

私は産業に特色のある街が大好きです。

でも、その産業を失ったとき、街が衰退してしまうのは自明のことです。

バブル期ということも考えて、当時の市政が観光に舵を切るのもわからなくはない気がします。

そこに住む人々のために、何ができるか。

その選択として市を挙げて、新しい産業へのチャレンジをしたのです。

 

私は経済学やまちづくりを修めた人間ではありません。

夕張が今後どうすべきかなんて語るに値する学もありません。

でも、この街で生きている人々がいる。

そのことに思いを馳せざるを得ないのです。

 

清水沢からのバスに乗り込んできた小学生たち。

私は「救われるような思い」と書きました。

彼らが未来の夕張を担うのかもしれません。

でも、軽々しく彼らを「希望」と呼ぶ気にはなれませんでした。

私も田舎の小都市出身です。

衰退していく様、震災で大きなダメージを受けた様、そして自分も含めて若者が出ていく様を短い間ですが見てきました。

ここで暮らしていくことが彼らのとっての「絶望」であってはならない。

そう強く思うのです。

彼らもこのままだと多くは夕張の街を出るのかもしれません。

 

訪れた当時、夕張市長は鈴木直道氏でした。

鈴木氏は都庁職員から夕張に出向し、そこで夕張の現状を目の当たりにしました。

そして市長選に立候補し30歳にして市長になりました。

自らの給与も70%カットして、精力的に市政改革に取り組んだ結果、

債務を大きく減らすことに成功しています。

ここまでの記事で触れてきた清水沢のコンパクトシティ構想、

そして夕張支線の廃線も「攻めの廃線」として進めてきた政策です。

廃線について、その是非はあると思いますが、

現状から考えて補助金によるバスの拡充のほうが市民生活に即したものかもしれません。

あくまで、両方拡充できるのが交通としてベストなのは間違いありませんが、

それができる自治体は今の日本で指折り数えるくらいしかないでしょう。

現在、鈴木氏は夕張市長を退任し、北海道知事に就任しました。

道知事としても精力的に活動をしています。

若いのに凄いなあ、なんて若者ながら感心してしまいます。

ただ、やはり気がかりなのは鈴木氏の眼に夕張はまだ映っているかです。

知事として夕張を贔屓することが適切ではないのはわかっています。

でも、やはり夕張には鈴木氏が必要だったのではという思いもあります。

とはいえ、いずれにしてもまだ評価には早すぎる気もします。

鈴木氏が蒔いた種が夕張で芽吹く時が来るのかもしれません。

 

ここまで観光産業のこと、子供たちのこと、鈴木市長のこと、いろいろと書きました。

私の中ではいずれも根底するものがあります。

 

 「もし、まだ1人暮らしで俺を待っててくれるなら…鯉のぼりの竿に黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ。」

幸福の黄色いハンカチ』で高倉健演じる勇作が妻の光枝に出した手紙です。

以下、ネタバレになるのはご了承ください。

網走刑務所帰りの勇作は、道中出会った欽也(武田鉄矢)、朱美(桃井かおり)とともに3人旅をします。

目的地はかつて炭鉱夫として暮らした夕張でした。

なぜ夕張に向かうのか、旅の道連れに勇作は話します。

人としての道を違えて服役した勇作は妻に別れを告げ、二人は離婚しました。

しかし、不器用な勇作は光枝がずっと気がかりだったのです。

そして、出所直後に上記の手紙を出したのでした。

 

ここまででお分かりかもしれませんが、黄色いハンカチは人を待つ象徴です。

映画のフィナーレ、勇作は諦念に苛まれながらも、欽也と朱美に励まされて夕張にたどり着きました。

そこで目にしたものは空にたなびく何十枚もの黄色いハンカチでした。

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夕張は炭鉱閉山以降、多くの人が去っていきました。

そこで人を呼び込もうと観光産業に舵を切りました。

しかし、上手くはいかず巨額の負債を残すこととなりました。

人々の税負担は増え、市民サービスは下がり続けます。

若者は次々と夕張を出ていき、高齢化が進みました。

そこで救世主のように鈴木市長が現れました。

しかし、改革も道半ば、市長は退任していきました。

新たな産業も、地元に残る若者も、市政の改革者も、夕張はずっと待ちわびていたのです。

それを象徴するかのように黄色いハンカチは街に掲げ続けられてきました。

今の夕張はいったい誰を、何を待ちわびているのでしょうか。

そして、そこに住む人々にも待ちわびている人がきっといることでしょう。

夕張の駅舎に、そして散策中見つけた民家にもハンカチが掲げられていました。

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単なる町おこしかもしれません。

でも、そこには確かな夕張の、そこに住む人々の思いがあるのだと感じます。

清水沢駅で出会ったおじいさんの言葉が思い出されます。

 

「鉄道がなくなってもたまには来てな。」

 

社交辞令だろうが何だろうと、彼もまた待っているのです。

私にも夕張で待ってくれている人がいるのです。

鉄路がなくなった後の夕張がどうなったのか見届けるためにも、

私はきっといつか、夕張に行くのだろうと思います。

 

夕張では今日も、黄色いハンカチが空にたなびいているのかもしれません。